稽古内容と風景
当流における稽古の目的は、カタを通してワザを身に着けることで、実生活をより豊かにすることにあります。
カタとワザを分けて記述しましたが、当流ではカタはワザの依り処、ワザはカタから生まれたものとしています。代々伝わるカタの稽古を重ねることで、自分勝手な身体の使い方が徐々に変化し、カタに適う身体操法となり、当流のワザが使えるようになります。
ワザが使えるようになりますと、自ずとカタの所作を細分化でき、身体鍛錬的な部分が、実戦向きな動きに変化します。
さらに口伝により実戦的なワザを得ても、あえて伏し、原初に戻り稽古相手を痛めつけないカタを繊細に繰り返すことで、さらなる心身の上達とワザの洗練が可能となります。
具体的に当流に伝わるカタを交えて、ワザの《こころ》に触れてみたいと思います。
◆體術(柔術、当身)
当流は柔術を体術と言い、もっとも時間をかけて身体を練ります。近祖のワザ、大先生のワザ、2世宗家のワザ、3世宗家のワザ、各印可相伝者のワザは、同じカタの中で伝わっています。師範稽古では、基礎のカタの体捌きを細分化して1-2手を数時間繰り返し練ることで、タテ型の体捌きが必然的に醸成されます。
◆杖術(無比流、浅山一伝流、別伝双杖、隼杖)
遠祖の佐々木哲斎徳久は、関ヶ原の前から槍の使い手とされ、関ヶ原のあとは諸国行脚ののち、大摩利支天の御前で「無始無終」の悟りを得て、無比流を開いたとされています。カタは九尺の槍で進退する陣法と思われるものや、槍を削がれたあとの使い方が伝わっています。混戦時に生き延びりをかけたカタです。浅山の流れを汲む棒のカタでは、不意打ちされたとき、殿中のさばきなどのケーススタディが主です。両者は近祖の兼相先生の時代で渾然一体となりました。また、兼相先生ゆかりの半棒術である隼杖や、兼相先生と大先生が創作された双杖も伝わっています。
◆剣術(居合、立合、小太刀、十二目録)
晩年に流派を立ち上げた遠祖の浅山一伝斎重晨のスタイルが色濃く残されています。介者剣法の流れにあり、叩き伏すような血気盛んな剣とは異なります。巻藁は切りません。咄嗟の局面、窮屈な体制からの体捌きで、不利な状況を補いながら相対するカタが伝わっています。大先生が視力も記憶力も衰えた最晩年(96歳時)まで抜かれていたカタは、今も当流の宝として引き継がれています。
◆鎌
片鎌で対太刀のカタが伝わっています。
※このほか、隠し武器が伝わっています。
杖、剣、柔はいずれもカタ稽古からスタートしますが、早い段階で相手を据えた対人稽古や、決まった手順の中で攻防を訓練する約束稽古を導入します。また強制ではありませんが、基礎を習得ののち、自由組討ち即ちスパーリングを推奨しています。
スパーリングの推奨は近年の時流に迎合したものではなく、兼相先生の時代(明治の頃か)までは杖の基本たる表四本を習ったのち、まずは武者修行に出され、生き残って道場に戻れた者にだけ、次の手を伝授したと口伝されているためです。
現宗家の相久も40半ばまでは、若手時代の謙久やほかの門下生相手に、柔術のスパーリングである「叩き合い」を行ったものです。
前置きが長くなりましたが、カタの基礎を、それぞれ初心者、有段者、師範、印可相伝者と宗家の映像をご視認下さい。