宮崎先生は若先生、伊坪さんとともに、僕に武道の基礎を授けて下さった大先輩です。90歳を過ぎた大先生は、宮崎先生が室町時代の武僧・念阿弥慈恩と同じ地域のご出身であることにちなんで、贈る武道家名を「慈久」としたそうです。
宮崎先生は幼い頃より武芸十八般のほか、浪曲などの伝統文化も嗜まれた見るからに豪傑な方でした。とくに合気道と柔道の天分は凄まじく、前者は植芝四天王の一人・斎藤守弘先生の直門、後者は警察署の少年柔道教室で師範を務められました。豊富な武道経験を活かし、当流を指導される際はよく合気道の動きと比較をしながら、大先生から厳しく注意された基礎動作を入念に教えてくれました。
また若先生が館長襲名をした祝宴のおりに、当時は明鏡館で指導された野川先生を指して「あおやまお前体術で聞きたいことあるならよく聞いておけよ!この人は俺と違って大先生最後のお弟子さんなんだから!」と、当時ではまだまだ門閥の観念が残る時代に、3世と白帯の僕を引き合わせてくれた方でもあります。
宮崎先生から教わった杖、剣の素振りや腰の落とし方は、稽古会で基礎鍛錬の一環として、次の世代に伝えています。
令和六年正月にて
謙久
松道流 護身武道 松栄館
当流HPをご覧いただき、ありがとうございます。 当流は昭和18年、旧水戸藩士・武石謙太郎兼相居士の弟子・松本貢兼久が無比流、浅山一伝流、兼相流等諸術を総じて創設しました。身体操法の振り返りにより、日本古来のエッセンスを身につけ、実生活での向上を目指しています。
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