~2009年3月、武僧に負かされ落ち込む謙久に、相久が送ったアドバイスより~
『道は無限にあり、その道を真似る必要はありません。自分流の道を、模索し、構築し、追い求めるならば、それが一番だと思うからです。結果として、名が残ったとしても、それはそれ。要は、武術に対する熱意が支配する世界を己で築くことができるかどうかの世界観をいかに持続し、真摯に向き合えるかで、この問いを自らに課した場合の生き様なのでしょう。 生き方、思い、稽古法、いまのまま歩むことが最善であると断言します。一時の迷いは、更なる進歩の麻疹のようなもの。まだ、悩めるんだと、素直に喜んでください。大いに、悩みましょう。なぜなら、未来は必ず味方になってくれるから』
からだも人生も、なかなかどうして、儘ならないものです。
社会でもまれいるうちに知らず知らず、ダメージが蓄積し「くせ」が形成してしまいがちです。
ダメージの蓄積が個のキャパシティの限界を超えると、いろいろな歪みやひずみが発生してしまいます。 社会活動の不調はこころに悪影響を与えるケースや、からだに悪影響を与えるケースが現代社会では頻発しています。
しかし、逆もしかりで、からだの不調がこころや、実生活に悪影響を及ぼします。
先日、3世が杖を表現のツールとして、駆け引きの稽古をつけてくれました。運動量は通常の指導時よりむしろすくないものの、気が付けば汗がバッと吹き出てきます。のちに、無意識のうちに自分の中で「なにか」が変化して動いたり、動かされたりした部分の解明をしました。昔の伝奇ものに一人で山籠もりして荒稽古をする武芸者が良く出てきますが、やはり一定期間を過ぎると人里に下りてきます。むしろ降りてくるために「ちがうもの」を身に付けに行ったのでしょう。降りて人と試してはじめて、身についたものが検証されます。
稽古で試合やかけためし、野試合を続けると知らず知らず行動パターンや体癖が単純化してしまいます。機械でも同じ歯車の特定の歯を使い続けると金属消耗を起こして、先におれてしまうように、ワンパターンではからだのダメージが蓄積しやすいと感じています。
仕事的にいうと、スキルセットが狭いということです。
対人的にいうと「自分がないと巻き込まれる」ということでしょうか。
体癖を指摘してもらい、さらに適切なチューニングをしてもらうために、師と先達を「かがみ」としてからだを「なおして」もらい、上達をはかりたいものです。
船で例えるなら、なじみの船舶修繕先が要るということでしょうか。
謙久
2023年5月7日
松道流 護身武道 松栄館
当流HPをご覧いただき、ありがとうございます。 当流は昭和18年、旧水戸藩士・武石謙太郎兼相居士の弟子・松本貢兼久が無比流、浅山一伝流、兼相流等諸術を総じて創設しました。身体操法の振り返りにより、日本古来のエッセンスを身につけ、実生活での向上を目指しています。
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