当流の先輩方の思い出①鈴田芳雄繁久さん、山本弘典久さん、斎藤謙三さん、佐江衆一さん


 鈴田芳雄繁久さん

 鈴田さんには基本技から応用技まで広く教えていただきました。天之巻上段之位を連続で仕掛ける稽古は特に印象に残っております。また、松道流本部道場から武久先生と繁久先生をお招きした記念演武大会の折、繁久先生から、「重要な話があるので武久先生のもとに行くように」と言われました。武久先生にお会いし話を伺うと、「本部道場への復帰要請」でした。その後、武久先生が私の職場に二回来られ、復帰を督促されたことから、同僚の冨田さんと共に平成15年9月、松道流松武館に復帰しました。私の松道流松武館道場への復帰は、「繁久先生のお導きである」と信じております。

 山本弘典久さん、斎藤謙三さん

 山本さんは私の職場の大先輩です。五十歳を超えた山本さんは、ニコニコと物腰も低く温和な方でした。しかし、若い頃の山本さんを知る方々からは暴れん坊というイメージが今でも定着しておりました。

 斎藤さんは身近な方で、よく私に稽古をつけてくれた先輩です。腕っ節を自慢される力自慢でした。また、大学の先輩で親しかった高倉健さんについて、「健さんは本当に良い人だ」といつも話されていました。

 暴れん坊の山本さんと力自慢の斎藤さんが隠し武器の演武で大会に行くことになりました。仕手山本さん、受手斎藤さんと役割を決め、道場稽古が始まりました。稽古は激しいものとなり、「手首が折れるのでは」と皆が心配するなか二人は平然としていました。当日の演武は壮絶なものとなりました。

 佐江衆一さん

 佐江さんは横浜ストリートライフ、老熟家族、黄落などの作品を世に出した作家の方です。昭和56年3月、松武館に見学に行った折、大先生(兼久)からうちの道場には有名な作家の先生がいると嬉しそうに話されました。昭和56年4月に入門すると、程なくして佐江さんと対面することになりました。卓球台を折りたたんで収納する一角に長椅子があり、そこで煙草を一服しながら稽古風景を見ている方が佐江さんでした。軽くあいさつし、私は柔術、佐江さんは杖術の稽古になりました。何年か後、横浜の寿町に取材に行くので護身術を教えてほしいと言われ、一か月ほど集中的に稽古をしました。取材終了後、「護身術は役立った」と言っていただきました。この時の取材作品が「横浜ストリートライフ」です。

                                相久 令和4年10月

松道流 護身武道 松栄館

当流HPをご覧いただき、ありがとうございます。 当流は昭和18年、旧水戸藩士・武石謙太郎兼相居士の弟子・松本貢兼久が無比流、浅山一伝流、兼相流等諸術を総じて創設しました。身体操法の振り返りにより、日本古来のエッセンスを身につけ、実生活での向上を目指しています。