そこはテンかマルか


 2020年度から当流の資料整理を始めました。

 はじめて見ると資料、データや散逸した資料の量が膨大であり、宗家を中心に各人の記憶を頼りながら、資料の掘り起こしやデータ化を試みています。

 そんな中で、大先生が遺したノートのデータ化と補完を2021年頃からスタートさせました。大先生のご遺品で私どもにとっては貴重な思い出とはいえ、いわゆる世間一般がいう秘伝の類ではありません。大先生が松道流として流派名を改めるころ、兼相先生から学ばれた3流派のカタの整理や、大先生なりのカタの解説が筋書きのかたちで記録されたものです。

 子供の頃は意にも介さない、道場奥の電話台の下にタウンワークかなんかと一緒に放置された代物です。しかしデータ化をはじめると、大先生の「文字」から学習するものも多々ありました。

 ひとつは「字がくだりによっては躍動している」ことです。大先生は杖、剣、柔いずれもこと細やかに筋書きを描かれましたが、殊に杖に関しては、筋書き・動き・解説と三段階に分けて大量の文字資料を遺してくれました。

 柔のパートでは、現代にいたるまで口伝が主流をしめるため、筋書きはどちらかというと骨組みに止まったものです。しかし杖のカタを整理する最中で、かなり崩れた「落」の字や、何度も消されては書き直した字がありました。また文が前後して句読点の使いがくずれ、殆ど句を止めずに、読点が続きました。

 過大解釈かもしれないが、14万字超をデータ化し尚作業中の編者としては、筆者(大先生)が筆を杖と見立て、躍動するこころや筋肉を押えなんとか、筆先を通して紙に仕手受手の切羽詰まったカタの「流れ」を押し留めんとする興奮が伝わってきます。

 句点なのか読点なのか、記録された動作よりも「気配り」の終結なのか「一段落」なのかを示す、筆者の心の動きを示すものであるように感じます。

 原作を整理するにあたり、文末はテンなのかマルなのか、筆者の苦悩の痕跡を含め一字一句、編者のバイアスを掛けることなく、筆者の熱量をありのまま、後世に残しておきたいものと考えます。

謙久

令和6年立秋の日にて

松道流 護身武道 松栄館

当流HPをご覧いただき、ありがとうございます。 当流は昭和18年、旧水戸藩士・武石謙太郎兼相居士の弟子・松本貢兼久が無比流、浅山一伝流、兼相流等諸術を総じて創設しました。身体操法の振り返りにより、日本古来のエッセンスを身につけ、実生活での向上を目指しています。